2016年11月12日
安謝龍宮より。11月11日 悲しみを手放すときがやってきた。
太古の昔より、この地に住まう龍。
龍宮神界より遣わされて、この地に水を循環を与え、寝床を作った。
ある時、ここで血が流された。
ここは処刑場となった。
命水は血を流す水へと変わった。
なんということだろう。
悠久の時を経て作り給うた彼の地の水を血を流すために使うとは!
水は命をつなぐもの。水はこの土地に住むものの鏡。
その悲しみの波動は、水へと映される。
反映されることを軽んじてはいけない。
この地で血を流すことは望みではなかった。
私は悲しみの波動を受けた。
そう。私も鏡なのだ。
土地の波動は雨とともに涙とともに地下へと流れる。
龍の寝床へと流れ、悲しみとともにまた天へと昇る。
何度も浄化をしてきたが、悲しみは癒えない。
この地のものが悲しみを抱いて生きているからだ。
今、王国の昔よりの悲しみを手放すときがやってきている。
私もそれを望んでいる。
浄化の時を迎えている。土地、水はその土地に住むものの勤めである。
営みである。私達はそれを望み伝える。
ここはこの国の悲しみの象徴。
私はずっと見続けた。
手放し、もとに戻るときがやってきた。
この場所は太古の昔、清らかであった。
その場所へと還る。清らかであった時のように。
悲しみを手放すときがやってきた。
悲しみを手放すときがやってきた。
この国の人々よ。琉球の人々よ。
悲しみを手放して、清らかであったころに戻るときがやってきた。
Posted by ナオミ・キャンベル(缶) at 21:15│Comments(0)