2007年04月04日

仏壇に「通知表」

私が小学生の頃、通知表は「よいこのあゆみ」と呼ばれていた。
年度が終わって家に帰る。
やることは、誰よりも、、、もちろん親よりも、まず、仏壇に手を合わせ、いち早く通知表を仏壇に置き、報告をすることだった。
なにを報告するって?
もちろん、成績!
そして、お礼をする。
で、「ゆーでぃきやー(優秀)になりますように・・・」と、ウグァンスー(ご先祖様)にお願いをする。
その後、仕事から帰って来た両親や家族が成績表を見る、という流れだった。
考えてみると、あの頃は、すべてが、仏壇を中心に動いていた。
もらった成績表は、仏壇に置かれ、新学期がはじまると、仏壇に手を合わせ、返してもらってから、学校に持って行った。
そして、年度が終わると、仏壇の引き出しに大切に収められた。

それ以外にも、お金やら、大切なものは仏壇に隠したり、置いたりする傾向があった気がする。
あの頃の沖縄では、きっと泥棒は簡単だっただろう。
だけど、ウチナーンチュの泥棒であれば、きっと仏壇から泥棒をするのは、相当気が引けたのではないだろうか。
それほど、先祖崇拝は根強く、そして、子どもからお年寄りまで根付いたものであった。

時は流れ、今はどうなのだろう。
仏壇に通知表の姿は、あるのだろうか。

この季節になると、仏壇に置かれた通知表を思い出す。
ちなみに、私がでぃきやー(優秀)にならかなったのは、けしてご先祖様のせいではありませんので、悪しからず。


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Posted by ナオミ・キャンベル(缶) at 11:22│Comments(3)オキナワ雑感
この記事へのコメント
先祖崇拝ってとても大切なことですよね。
小生もどちらかというと・・・・。
実家に帰る時はできるだけ小さなお菓子でも買って仏壇に供えています。
買い忘れた時は”おじいちゃん・おばあちゃんごめんね!忘れちゃった”って誤ります。
Posted by tidanada at 2007年04月07日 08:54
仏壇があると、自然と手を合わせるけれど、ないとなかなかですよね〜。
私も今、仏壇と離れて暮らしているので、ちょっとご先祖さまへの想いが薄れがち・・・
なので、あえて意識しています。
ちょっとでもご先祖様のことを思ったら、心の中でありがとう!というように。
じゃないと、ホントに流されそうです!
Posted by 喜屋武ナオミ at 2007年04月09日 11:37
沖縄の祖先崇拝文化、以前、何かの席で、
たとえば、キナラヌ祖先でも崇拝しなければいけないの? という冗談に雰囲気が和んだ経験があります。

先祖があって今の自分があるのですから
自分のルーツの祖先を大事にしなくてはと
私は思います。ですから、まず、故郷へ帰ると、親戚宅を回り、仏壇に手を合わせ、お供えものを仏壇におきます。もちろん、我が家の仏壇に手をあわせるのが先で親戚回りは
その次。祖先は自分の守り神ですね。

学校の成績表を仏壇に報告することはありませんでしたが、それは、自分の祖父母は私が生まれる前に天国へ旅立っていたということもあるかもしれません。もし、祖父母と一緒に生活したのでしたら、Bob さんのように成績表を仏壇の祖父母に報告していたと思います。

とかく、現在人は時間に追われ、私が育った次代とは違い、人と人との交流が希薄になっているがゆえに、孤独感を味わいながら日々を過ごしている人も多いのではないでしょうか。

自分のルーツを大事にすることで人と人とのつながりの意味、大事さ、それを意識することで自分の人生も潤うものと思います。
Posted by 見守る人見守る人 at 2013年02月15日 21:17
 
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